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学連の歴史

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学生スキーとインターカレッジの変遷

学連の周辺の競技会

雪のない地方でのスキーヤーの上達の目標はSAJ検定1級であるが、アルペン競技の練習を始めるにあたっての必要条件は1級程度の技術水準である。どんな斜面でもパラレルで自由に滑る事ができなければ、ポールを立ててのタイムレースは意味がないからである。一方の到達点が一方の出発点という甚だしい技術較差が存在しているにもかかわらずアルペンのトップスキーヤーとの差はますます大きく開いてゆく。その結果、基礎スキー検定では1級クラスの技量を持っていても、通常の競技会ではまったく入賞が望めないという学生スキーヤーが大量に生み出される結果となった。また、既に強いスキー部を持っている大学においては、少々のスキー技量を持つ学生は到底スキー部に入れない。これらの学生も、もしスキー部が弱い他の大学に入学していたならば正選手として活躍できたかもしれない。そのような学生は結局同好会に入ることになるが、ある大学の歴史あるスキー同好会は、別の新設間もない大学の体育会スキー部より水準が高いということも可能性としては起こり得る。こうして、トップクラスではないアルペン競技者の膨大な競技会需要が生まれてきた。

これらの学生スキーヤーを対象として地元のスキークラブの主催する「全国学生岩岳スキー大会」が昭和49年(1974年)から開始されるようになった。最初アルペンのみで始まったが現在はクロスカントリーも行っている。全日本学生スキー連盟(学連と略称する)主催の大会がレベルが高すぎることから体育会スキー部が出場する例もあるようである。その他各地に、全国学生スキー大会と称する大会が数多くあるが、その実態は掴みきれていない。ただ、これらの大会の特徴はいずれも、参加資格に「大学生で、学連加盟の男子1部、2部、女子1部の団体に所属するもの、全日本A級大会出場経験者は出場できない」として上級競技者を締め出している事である。もちろん、いずれもSAJ公認大会ではない。また、同じ大学を名乗っていても、就業年月が6年であることを始め、教育課程に大きな差があるところの医学部学生は、医学部学生だけのスポーツ大会を持っている。その一つの例が、はやくも昭和33年(1958年)に開始された「東日本医科学生スキー大会」である。これも、当初インターカレッジを経験した医学部学生が中心となって設けたものといわれる。関西地方にはインターカレッジと比肩する伝統を持つ「全関西学生スキー選手権大会」があるがこれについては別章で詳しく述べられるのでここでは触れない。

学連出身の社会人

学連は世界的なトップクラスのスキーヤーを数多く生み出してきた。そればかりでなく卒業生はスポーツジャーナリスト、スキー研究者となり、スキー競技の報道・解説、FISルールの翻訳、スキー教程の翻訳等などスキーの啓蒙普及に力を注いだ。殊にスポーツジャーナリストの世界にあっては、一時は朝日、毎日、読売という3大新聞の運動部長、次長が学連出身者(特に早大)で占められていたこともある。このことが人々のウィンタースポーツへの関心を高めることについて果たした役割は量り知れない。また学連出身者は全日本スキー連盟の役員となり、日本の競技スキー界を先導してきたし今でもそうである。しかし、それ以外の分野への進出もめざましい。学生時代にインターカレッジに出場し、社会に出ていった人々のその後を見ると、通常の大学卒業者の進路と変わりない。当然ながら比較的スキーに関係する職業に就いている人が多いものの、ありとあらゆる分野へ進出し活躍している。故木原均博士は文化勲章受賞者であったし、大会社の役員は枚挙にいとまない。変わり種では、一部優勝者で日本航空国際線スチュアーデスがおり、またかってクロスカントリー15kmを走った大蔵省幹部などもいる。近年、会社内のスキー大会や同業界の会社対抗のスキー競技会(百貨店対抗戦、インターバンク、東ガス・スキー大会等等)が盛んに行われるようになり、企業内のまた企業間の親睦に役立っているが、それらを主導しているのは皆、学連出身の競技経験者である。

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