logo

SPECIAL EVENTS

85th

CONTENTS

SPONSORS

hakubamura

goryu

biei

hachimantai

SUPPORTERS

 

 

 

 

GENERAL

学生スキーとインターカレッジの変遷

ページ1

(「全日本学生スキー連盟70年史」(平成9年(1997年)発行)より)

スキーが日本に紹介されて以来、スキーは多くの若者を惹きつけてきたが、スポーツの 主役はいつの時代でも学生であった。しかし70年の歴史の中では日本の学校制度も変わ ってきたし、またスキー競技も進化してきた。ここでは、学生スキーを取り巻く環境の変 化と、スキー競技の変化を照らし合わせながらインターカレッジの歴史を通観してみよう。

初期(昭和20年以前)の参加校
毎年の全日本学生スキー選手権大会(以下「インターカレッジ」と記する)の記録から加 盟学校をを知る事ができる。それを第1回大会から第70回大会まで加盟順に書いたもの が付表である。まずこの表の説明をしておこう。

記録で確認できるのは大会への参加だけであるため、ここでは初参加をもって加盟とみ なした。また、かなり早い時点で参加していながら、その後長期にわたって休会している 学校がいくつかある。それらの学校は何年もの後に再び加盟の手続きをとって参加してき ているが、現在加盟しているスキー部が必ずしも最初に加盟していたスキー部を継承して いないと思われる場合がある。しかし学生スキーの歴史を考察するにあたっては、個々の 大学がその時代にどのような役割を果たしたかが重要なので、長期の休眠状態がある学校 にあっても最初に参加した年をその学校の加盟時点とした。 このような事が起こった理 由は、初期にはスキーを行う学生の多くは大学山岳部に属していたことによるものと考え られる。

山岳部内の比較的スキーに興味を持つ者がスキー競技も行っていたのである。しかし、 登山とスキー競技とでは目的は全く異なるのであって、スキー競技を追求するならば山岳 部とは別個の活動として行わざるを得ない。そこで山岳部員の中でスキー競技に特化する 学生と登山のみを目的とする学生が次第に分かれ、ある時期からスキー競技のみを目的と するところのスキー部が誕生してきた。伝統あるスキー部の多くはこのような経過をたど って発足している。戦前にこの分化を済ませ、独立したスキー部を発足させていた学校は 戦後もスキー部が継続して参加をしているが、山岳部からの分化が完全でなかった学校の 場合は、戦後山岳部が復活しても、もはや専門的で高い水準に達していたスキー競技に参 加することはできない状況となっており、その結果スキー競技から離れていったものと思 われる。それらの大学ではその後何年かして、競技スキーだけを追求するクラブが誕生す るまで待たなければならなかった。

学校の名称については、戦後の学制改革により、学校の統廃合と名称の変更が幾つもの 学校でなされているが、最初に参加した学校を継承している現在の学校の名称を用いて統 一したが、参考のために加盟時の名称を付記した。

昭和3年(1928年)、第1回大会に参加したのは、北海道帝国大学、早稲田大学、 法政大学、明治大学、弘前高校、日本大学、小樽高等商業専門学校 の7校であった。 加盟校の範囲は第一回の大会の名称が「全国大学高等専門学校スキー大会」とあるよう に、加盟の資格は大学、旧制高校、旧制高等専門学校であった。即ち当時の高等教育機関 の対抗戦を目的としたものであった。全国各地にあった師範学校は高等教育機関とみなさ れず一校も加盟していない。当時日本全国で大学は34校、旧制高校、旧制高等専門学校 は172校存在していたから、高校および高等専門学校を除いて大学だけの組織率をみる と約25%である。これは、現在の男子校についての数字とほぼ一致する。

以後幾つかの学校が新たに参加するが、上記の学校以外は大会への参加不参加が不規則 的であり、参加総数は年により増減がある。結局、昭和18年、第16回大会まで、最も 参加校の多いときでも14校であり、毎年ほぼ10校程度で推移している。上記の学校以 外で戦前に一度でも参加した学校を延べで列記すれば、専修大学、慶応義塾大学、東京農 業大学、立教大学、日本歯科専門学校、学習院大学、東京帝国大学、米沢高等工業専門学 校、山形高校、盛岡高等農林学校、秋田高等鉱業専門学校、室蘭高等工業専門学校、であ る。これら学校名を見ると、学生スキー競技者のいる学校は、東京の有力私立大学(当時 は私立大学は関東・関西の大都市以外には無かった)と雪国の国立大学及び高専(旧制)に 限られていたことがわかる。また、これらの大学は70年後の今なおスキーの名門校とし ての伝統を誇っている学校もあれば衰退して行った学校もある。

雪国に立地している国立学校は中学時にスキーの経験のある選手が進学しているのはも ちろんの事、入学後も地の利を生かして研鑚を積み競技に参加している事がうかがえる。 特に北海道帝国大学は、欧州に留学した教授達が早くからスキー用具や最新の技術を導入 し、またスキー理論の本を翻訳するなど競技スキーを日本に紹介する上で大きな役割を果 たしている。その薫陶のせいもあって、北大からは昭和11年(1936年)ガルミッ シュ・パルテンキルヘン・オリンピックで第7位となった伊黒正次選手等が生まれている。

1 2 3 4 5 6 7 8 次へ

[PR]